仕事があったということ
自営を選んだ旦那の仕事ぶりはひどいものでした。
生活費は稼げないのに正社員を雇い、大企業ばりの給料を支払っていました。
会社で売り上げたものをすべて社員の給料と仕入れに使うという暴挙。
さて残された家族はどう生活していたか。
貯蓄と結婚持参金と私の収入でです。
おかしいと思わなかったわたしも相当なアホで。
彼の会社がいつか大きくなって、必ずいい暮らしになると信じて疑いませんでした。
旦那の人当たりは神がかっていて、初対面だろうが気難しい人だろうがすぐ仲良くなってしまう。私は人間を信じないので余計に彼の才能に惚れていたわけです。
下手に口出しして、その才能をつぶしてはいかん、と。
私のネガティブな臭いが彼に移らないように。
絶対にわたしは表に出ないでおこう、と。
かくして彼は「社長」とよばれるようになった訳です。
高給社員と、売り上げを気にしなくていい会社と、家事育児をして生活費を捻出する嫁によって。
あ、ちなみに会社は旦那の実家の倉庫なので家賃もいらないという。
もうダメダメですね。
何で気付かんかったかホンマ
社長になった彼はほとんど会社にいました。
社長は社員にお昼を奢らないといけないそうですよ。
初耳ですが、社長がそう言うならそうに違いない。
形から入る人間で、瞬く間に会社に色々な機材がそろいました。
職種がアパレルなので人付き合いも広くなり、大阪から東京へ行っては帰り行っては帰り。
そんなもんかと思ってました。
書けば書くほどアホだなこれわたし。
初めての子供を出産するとき、わたしの両親が田舎から出てきてくれました。
今産まれるか今産まれるかの時に旦那は社員を連れて母に挨拶に来ました。「今から二人でご飯を食べてきます」と。
わたしも交流の深い社員でしたので何も問題はないのですが、
社員は女の子でした。
わたしの両親の、彼への不信感は、たぶんここから始まりました。
出産を終え、家に帰っても会社が忙しい旦那はあんまりいなかったですね。出版物へのイラスト仕事がわんさと来ている時期でしたので
締め切り近くだけでも子供の子守をしてくれないか、と頼みましたが
忙しいということでした。
産まれたての赤ちゃんは母ちゃんのピリピリを察して起きちゃうしね。
今四人産んでから思うと、赤ちゃん一人くらい大したもんじゃないと思えるのですが
一人目を抱えた新米ママがどれほど、どれほど大変か。
何もかもがわからない。どうしていいかわからない。何で泣くん?何で泣くん??何で泣くん???眠たくて疲れて母ちゃんも限界なんですけど。
何で泣くん。
締め切り最終日、
見事史上最悪な作品が完成。
泣きながら片乳出して授乳して、右手伸ばして必死に絵を描いたけど
顔から火が出るくらいの駄作しか仕上げられませんでした。
その後二回ほど依頼がありましたが
なくなりましたね。
当たり前。わたしでもこんな絵描く人いらない。
締め切りだって、守れてない。
どんどん自分が空っぽになっていく感じ。
それでもそのころの感情は、自分への不快感のほうが強く。
旦那を責めだしたのはまだ少し後のこと。